Una Voce運動の歴史
設立
1964年にノルウェーの著名な心理学者であるBorghild Krane博士は、関係するカトリック信徒に対して、教会の典礼遺産の防御のために共に団体を作るよう呼びかけを行いました。この呼びかけの結果、1964年から1965年に数多くの各国団体が生まれました。1965年初めにヨーロッパの6つの団体からの代表がローマで会合を行い、1967年1月8日に20団体からの代表が会則案を承認して最初の評議会を選出し、チューリッヒで国際的な連盟が正式に設立されました。
第1回の総会(1967年)
信徒活動
国際Una Voce連盟は始めに1967年にチューリッヒで創立された信徒活動です。
国際Una Voce連盟は、ヨーロッパの文化・音楽・芸術・文学・建築の多くが作られ育成される土台となってきたローマカトリック教会のラテン典礼の文化遺産を促進することを目指しています。
ユダヤ教寺院の礼拝を維持することから始まり、キリスト教の指導の下で単旋律聖歌へと発展しながら、聖なる音楽は後世のクラシック音楽と合唱音楽の元になりました。
同様の発展は芸術・建築・文学・全ての芸術で起こり、そこではキリスト教の伝統は古代の古典世界、及びキリスト教が引き継いできたヘブライの伝統をもとにしています。
連盟の主要な目的は、教会の伝統的なローマ典礼が典礼祭儀の形式の一つとして教会で維持されることを確実なものとすること、そして、ラテン語、グレゴリオ聖歌、多旋律聖歌及びローマ教会の全ての聖なる・芸術的な・文学的な・音楽的な伝統を守り促進することです。
連盟の初期のメンバーには、偉大な作曲家であるMaurice DurufléとOlivier Messiaenが含まれていました。
連盟の総会は2年毎にローマで開催され、評議会と会長のための選挙が行われます。
連盟は聖座により承認されており、連盟の意見は関連するローマの聖省により礼儀と敬意をもって受け入れられ、連盟の代表も同じように受け入れられています。
初代会長とその夫人
初代会長Eric Vermehren de Saventhem博士はドイツ人の反ナチス外交官で、Countess von Plettenbergの称号を持つ有名な反ナチスのカトリック家庭出身の妻とともにイスタンブールの大使館を経由して英国に逃れました。他の会長には英国の作家Michael Davies氏が含まれており、ローマ典礼とローマ教会の聖なる伝統を維持し、ローマ教皇庁の内外両方で活動する上で極めて影響力のある人物でした。
名誉副会長Count Neri Capponi教授もまた、過去のFIUV会長、Ralf Siebenberger氏、故Fredrik Crichton-Stuart師及びLeo Darroch氏のように、ローマ教会の聖なる伝統を美しさと完全さの面で維持することを助ける上で卓越した人物でした。
長年にわたり連盟は様々な奏功する介入を行ってきました。1986年に教皇ヨハネ・パウロ2世に枢機卿の特別委員会を召集するよう勧めることを助け、1988年に教令Ecclesia Dei Adflictaの公布の結果となりました。教皇ベネディクト16世に2007年の自発教令Summorum Pontificumの公布を勧める上でもまた役割を果たしました。
現在の会長はイングランド・ウェールズのLatin Mass Societyからのジョゼフ・ショウ博士(Dr. Joseph Shaw)です。
連盟は中央委員会により上から運営される組織ではありません。それぞれの各国団体は連盟の目的を達成するために可能な全てを地域のレベルで行うよう奨励されている自律的組織ですが、国際連盟の指導力は全世界の伝統的なカトリック信徒の共通した関心事を教会組織の最も高いレベルで代表するために適切に果たされています。ローマとの交渉は舞台裏で慎重に行なわれる傾向があり、通常は公になることはありません。
会員
国際連盟はアルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、ベラルーシ、ベルギー、ブラジル、カナダ、チリ、コスタリカ、コロンビア、キューバ、チェコ共和国、イングランド・ウェールズ、エストニア、フィンランド、フランス、ドイツ、インド、アイルランド、イタリア、日本、ラトビア、マルタ、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ナイジェリア、ノルウェー、ペルー、フィリピン、ポーランド、ポルトガル、プエルトリコ、ロシア、スコットランド、シンガポール、南アフリカ、スペイン、スイス、ウクライナ、米国の41の会員団体を代表しています。2010以来、国際連盟はめざましい進歩をとげてきました。デンマーク、ホンジュラス、ハンガリー、インドネシア、ケニア、リトアニア、ルクセンブルグ、パナマ、サラワク(ボルネオ島)、スロベニアから情報と援助の要請が届いています。
教皇ヨハネ・パウロ2世
私達は、1988年の教令Ecclesia Dei Adflictaの公布の結果となった枢機卿の特別委員会を召集する1986年の私達の要請を快く聞いていただいたことに対して、故教皇ヨハネ・パウロ2世に非常に感謝しました。偉大な学者で伝統的なカトリック信徒である故Dietrich von Hildebrand教授が雄弁に「聖なるものの回復」と呼んだものに至った、和解、再考及び信心深い行動の過程を始めたのは、教皇ヨハネ・パウロ2世でした。
枢機卿からのコメント
・1996年7月25日に教理省長官Joseph Ratzinger枢機卿は、国際Una Voce連盟が聖座の指令に従ってローマミサ典書の1962年版の使用を支援する上で重要な役割を果たしていることを称賛しました。
・典礼聖省の名誉長官Medina Estevez枢機卿は、1962年のミサ典書の使用はこれを求める全ての者に認められるべきであると感じていると述べ、個人的な研究に基づいて聖ピオ5世の典礼は決して廃止されていないと述べてきました。彼はUna Voceの活動を支えてきました。
・2000年9月4日にCastrillon Hoyos枢機卿はUna Voceの代表に、聖ピオ5世のミサ典書は教会の偉大な宝であると考えており、1962年に使用されていた全ての典礼書の使用が認められない理由は見い出せないと述べました。自発教令Ecclesia Dei Adflictaは司教にこれを実施するための重大な責任を負わせ、これに反する重大な理由がある時のみ求めが否認されるべきであるというのが彼の見解でした。
教皇ベネディクト16世
連盟の会員にとって非常に喜ばしいことに、私達の聖父教皇ベネディクト16世は十字架称賛の祝日である2007年9月14日に自発教令Summorum Pontificumを公布しました。この文書では福者ヨハネ23世のミサ典書(1962)が決して廃止されておらず(numquam abrogatam)、「あがむべき古くからの典礼の使用に対してふさわしい敬意が払われなければならない」と述べられています。
教皇フランシスコ
私達は毎日私達の現在の聖父のために祈り、聖父が前任者達が聖なるものの維持と回復の上で行った進歩を守っていただいたていることに感謝しています。そして私達は聖父が崇高な伝統を続けるように祈っています。