冬の斎日(2022年)

 今週の水曜日、金曜日、土曜日は冬の斎日(Quattuor tempora ラテン語で「四季」の意)にあたりますので、このカトリックの伝統を紹介します。「天ぷら」の語源にもなった習慣と聞くと、カトリック信者でなくとも興味をもってもらえるのではないでしょうか?

 

四季の斎日とは? 


 『カトリック大辞典』(冨山房、1968年)では以下のように説明されています。

年に4回行われる断食をいう。四旬節の第一主日後、聖霊降臨後、九月中第三主日後、待降節第三の主日後の水曜日、金曜日、土曜日に行われる断食の意である。既にカリストゥス教皇(222)の代に、年三回の断食が行われたとされている。その淵源はローマの地方的風習に過ぎなかったが、ラテン式典礼の弘布に伴い、八・九世紀に至って全欧に弘まり、十三世紀に至ってミラノに行われるようになった。ゲラシウス教皇(496)は四季の平日を叙品式の定日と定めた。 (略)日本では、聖庁の特免によって四季の各水曜日、金曜日には小斎だけを守ればよいことになっている。

 上記の説明では断食にしか言及がありませんが、百科事典『The Catholic Encyclopedia』(1909年)では、斎日の目的として、自然の恵みを神に感謝し、それを節度を持って用いること、貧しい人を助けることを教えるためでもあるとされています。

 The purpose of their introduction, besides the general one intended by all prayer and fasting, was to thank God for the gifts of nature, to teach men to make use of them in moderation, and to assist the needy. 

 四季の斎日は実は廃止されていません。現在の典礼暦のルールを定めた『典礼暦年に関する一般原則と一般ローマ暦』でも「祈願日と四季」として規定があります(45条~47条)。また新教会法(1981年)では四季の斎日の断食は義務とされなくなりましたが、個人がこの古代からの習慣を守ることについては何の制限も課されていません。

四季の斎日を守る今日的意義


 伝統を守るといっても、守る人間は時代時代の影響下にあるわけですから、常にその現代的意義を考える営みは必要です。そこで、四季の斎日を守る今日的意義を考えることも有益であると思い、以下整理を試みました。

① 創造は神の業という感覚を取り戻す必要性があるから

 日本は農林水産業に従事する人が極めて少なくなり、食べ物を無事に収穫できるまでどれだけ大変なのかということを感じにくくなっています。この感覚の喪失は、創造は神の業であることを感じにくいものにしています。都市に暮らす現代人が「日ごとの糧」は神の創造の働きであることに思いをはせ、季節ごとに収穫の無事を願い、神に感謝する習慣をもつことは却って有益であると思います。

② 3カ月に1回は神に立ち返る期間が必要だから

 神に立ち返るタイミングは毎日であるべきなのですが、意識せずとも神に立ち返れる恵みを持った人は少ないでしょう。神と向き合う期間・準備を意識的に設けることは信者にとって大切です。現代日本は、個人主義が他者への無関心にまで至り、クリスマスもイースターも商業主義に染まるほど世俗化しています。だからこそ四旬節だけでなく、季節ごとに祈り、断食、愛徳の業で神に立ち返る期間があったほうがいいとと思います。