五旬節の主日(2012年2月16日
Dominica in Quinquagesima 五旬節の主日 (紫、2級)
今の時期はまだずっと七旬節が続いていますが、今週の五旬節の聖歌は先週の日曜日のものとは随分違っています。
先週の聖歌は、大部分が私たちの惨めさのどん底からの哀願のこもる訴えを表しながらも、拝領唱の “Introibo”(私は進み出る)がもたらす希望の光をも感じられる内容でした。
今週の全ての聖歌は先週来のこの希望の光を引き継ぎ、信頼に満ち、穏やかで、喜びに満ちてさえいます。
四旬節の厳しさに臨む前に私たちを励ますため、教会は私たちに最後の勝利と贖いの素晴らしさを垣間見せてくれるのです。
今週の日曜は、灰の水曜日の前の謝肉祭の享楽とも通じるところがあると言えるでしょう。
今ではもう昔の四旬節の厳しさはあまり知られていませんが、年配の信者さんたちは子供の頃に経験がおありです。
かつては日曜を除いて四旬節は連日、大斎と小斎があったものです。
すべての祝い事や楽しみはお預けでした、だからこそ、この四旬節という改悛の時期に入る前に、最後のお祭り騒ぎをしたいと思ったのは当然のことでしょう。
それが謝肉祭だったのです。
謝肉祭の期間の、リラックスした気分の名残はたいてい異教的な性格をとどめていますが、典礼はそのもととなった深い意味のある起源を思い起こさせてくれます。
入祭唱 Omnia terra
五旬節の主日の入祭唱は詩編30が元になっています。
この詩編は典礼によく用いられるもので、二週間前の七旬節の拝領唱にも用いられていました。
その際にも、これは神の御旨に全てを委ねることをダビデが最もよく表現している詩編のひとつだ、と言いました。
それは”In manus tuas(あなたの御手に)”の詩編です。
Esto mihi in Deum protectorem, et in locum refugii, ut salvum me facias: quoniam firmamentum meum, et refugium meum es tu: et propter nomen tuum dux mihi eris, et enutries me.
どうか私を護る神、私の逃れる場所でいてください。
なぜならあなたは私の拠り所、私の逃れ場。
あなたの御名ゆえにあなたは私の導き手となり、私を養ってくださることでしょう。
あなたの御名ゆえに」と言う表現は聖書では常に「あなたの御約束ゆえに」を意味します。
母の腕の中の幼子のような、信頼に満ちて委ねる心は、単純で軽やかで穏やかなメロディによって表されています。
このメロディはグレゴリオ聖歌の第六旋法を用いています。
第六旋法は霊的な幼年時代を表す旋法と呼ばれてきました。
しかしこのメロディは、終わりの部分の”dux mihi eris(あなたは私の導き手となってくださるでしょう)”という言葉と共に、感情の美しいほとばしりとなって動きを見せます。
この入祭唱は詩編30の最初の節と関連しています。
In te Domine, speravi, non confundar in aeternum: in justitia tua livera me.
主よ、私はあなたに希望を置き、決して落胆することはないでしょう。
あなたの正義によって私を解き放ってください。
昇階唱 ”Tu es Deus”
五旬節の主日の入祭唱は、私たちの護り手である神への信頼を表していました。
昇階唱は賛美と、私たちがすでに垣間見ている贖いの善き業に対する主への感謝を表現しています。
詩編76が下敷きになっています。
この詩編の作者は、悲嘆のさなかで、かつて主がおこなってくださった善き業、ここでは特にエジプトからの脱出と紅海の通過という贖いの比喩を思い出していただくことで、主に訴えかけています。
Tu es Deus, qui facis mirebilia solus: notam fecisti in gentibus virtutem tuam. Liberasti in brachio tuo populum tuum, filios Israel et Joseph.
あなたは神、不思議な業をなさる唯一の方、あなたは諸国の民に力を示されました。
あなたはあなたの民、イスラエルとヨセフの子供たちを解放されました。
再び私たちは、神ご自身がご自分について述べられた定義の言葉でお答えすることになります。
つまり「私は『ある』ものである。」と神はモーセに言われたからです。
だから私たちは、「あなたは『ある』お方だ。」と言うのです。
また、イスラエルとヨセフの子供たちというのは選ばれた民で、これはいつものように、教会の比喩です。
だから、御復活祭で罪の軛から解放されようとしているのは私たち全員なのです。
この昇階唱のメロディは、この時期の多くの昇階唱と共通のものです。
このメロディのいくつかの要素は七旬節の昇階唱で聞いたことのあるもので、まだこの先、四旬節で2度、耳にすることになります。
このメロディはゆったりとして、とても広がりが感じられ、長い母音唱法(ヴォカリーズ)が沢山あり、神秘的な激しさがあります。
詠唱 Jubilate Domino
この先ずっと復活祭までそうなるのですが、五旬節の主日の昇階唱の後には詠唱が続きます。
今週の日曜の詠唱は詩編99の最初の方の節を土台としています。
この詩編は全能の神なる主への歓呼を表していて、その様式は御公現後の日曜に聞いたのと同じものです。
Jubilate Domino omnis terra: servite Domino in laetitia. Intrate in conspectu ejus, in exsultatione. Scitote quod Dominus ipse est Deus. Ipse fecit nos, et non ipsi nos: nos autem populus ejus, et oves pascuae ejus.
全地よ、主に向かって歓呼の声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。
喜びの声をあげつつ、主の前に出でよ。
主こそ神と知れ。
神が私たちを創られたのであって、私たちが創ったのではない。
私たちは神の民、その牧場の羊。
今日の御ミサではこの歓呼は、入祭唱における神への信頼と昇階唱の感謝の賛歌の後に湧き起こり、御復活祭の喜びに満ちた、贖われた者たちの感謝を前以て表しています。
ついでながら、この詩編朗詠を土台にした大変、装飾的なメロディは、復活徹夜祭の詠唱のメロディと全く同じものです。
奉献唱 Benedictus es
多くの奉献唱に見られるように、五旬節の主日の奉献唱も瞑想であり、内的、観想的なものです。
歌詞は詩編118から取られていて、この詩編は典礼暦上ではこの日始めて目にするものですが、今後、年間を通してしばしば目にすることになります。
この詩編は詩編全編を通して最も長いものです。
176節もの長さで、神の掟と意志についての省察に充てられています。
賞賛に満ちた省察で、思い巡らすかのように長々と続きます。
主の掟は名詞の多用によって表現され、どの名詞も同義語で、それが次々に現れます。
この奉献唱においてはそれは”justificationes(掟)”と”judicia(裁き)”の2語で、どちらも同じく神の意志の完成ともいうべき「正義」を語根としてます。
Benedictus es Domine, doce me justificationes tuas: in laviis meis pronuntievi ominia judicia oris tui.
主よ、あなたはたたえられますように。
あなたの掟を私に教えて下さい。
私は唇で宣べ伝えます。
あなたの口から出る全ての裁きを。
メロディは観想的ではあるものの動きに富んでいます。
昇階唱の、同じような神秘的な激しさあるメロディに近いものがあります。
付け加えておくと、最初のフレーズは、御公現後第二主日の昇階唱、”Jubilate(歓呼せよ)”と同様に2度繰り返されますが、ここでは繰り返しは全く同じメロディに乗せて行われ、より発展的な終止形が2度目の終わりにだけ現れます。
拝領唱 Manducaverunt
五旬節の主日の拝領唱の歌詞は詩編77を元にしています。
これはこの日の御ミサの昇階唱の歌詞のもとになっている詩編76に続く詩編です。
またこの詩編77は、奉献唱で見た詩編118に続いて最も長い詩編のひとつです。
この詩編は感謝の歌で、エジプトからの脱出に始まり約束の地への入場に至るまで、主がその民にしてくださった全ての善き業を長々と語っています。
この拝領唱の歌詞は、砂漠を渡るとき天から送られた食物についての箇所です。
Manducaverunt, et saturati sunt nimis, et desiderium eorum attulit eis Dominus: non sunt fraudati a desiderio suo.
彼らは食べて満ち足りた。
主は彼らの望むものをもたらされた。
彼らは失望させられはしなかった。
この天上の食物は明らかに御聖体の比喩で、四旬節の厳しさに入る前にすでに垣間見ている、復活祭のもたらす喜ばしいもののひとつが御聖体なのです。
このことを聖体拝領の時に思い起こさせるのは、まさに相応しいことです。
このアンティフォナのメロディは軽やかで喜ばしく、リズムは十分にゆったりとしていて、望みを満たされた者の幸福を表現しています。
当解説はUna Voce France の WEB SITE の記事の翻訳です。
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フランス語の放送の解説部分はこのテキストとほぼ同じ内容です。