なぜ伝統ミサ?

 私たちがなぜ伝統ミサを大切にしたいと願うか、その答えは、教皇ベネディクトが2007年に自発教令に添付された全世界の司教宛の手紙ある以下の言葉にあります。

典礼史には、成長や発展はあっても、決して断絶はありません。過去の人々にとって 神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。(教皇ベネディクト十六世)

 

 「神聖さ」。これは故池田敏雄神父と共に7年4ヶ月に渡り、東京で伝統式ミサを捧げてきた経験からも、伝統ミサのすべてを余すことなく伝える言葉であると思います。

なにごとの おはしますかは 知らねども ただかたじけなさに 涙こぼるる 西行(1190年没)

 池田神父はよく西行の歌を引用して、この聖なるものへの感動は日本古来の感性に働きかけるものだとおっしゃっていました。現代の日本人に伝統ミサが訴えかけるの理由の一つがあるように思います。

 こういった宗教的な必要性を別にしても、伝統ミサを大切にする価値があるのはそれが人類の無形遺産だからです。

 1970年までのカトリック教会に由来する文化・建築・芸術はすべて伝統ミサが基礎にありました。特にグレゴリオ聖歌や多声音楽の聖歌は、それ自身が価値があるので伝統ミサから切り離されても輝いていますが、その真価を味わえるのは伝統ミサにおいてです。

 伝統ミサは西欧の遺産ではなく、世界中に広がるカトリック教会の遺産です。発祥の地である西欧が保護するのは当然として、それが伝えられた地では大切にしなくてよいという理屈にはなりません。

 以上、色々書きましたが、よいものだと思うから大切に守りたいというのが、一番シンプルな回答なのかもしれません。