御復活後第一主日(2012年4月15日)

御復活後第一主日の固有唱解説 2012年4月15日、白、一級、御復活後第一主日 御復活後第一主日のこの日は、入祭文の最初の一語を取ってQuasimodo(註1)の主日と呼ばれたり、in albis(白衣)の主日、つまりIn albis depositis (白衣を脱ぎ去る)の主日とも呼ばれています。白衣を脱ぎ去る、というのは、復活徹夜祭に洗礼を受けた新受洗者が1週間ずっと身につけていた白衣をこの日はじめて脱ぎ去る習慣があったからです。 (中略) 本ホームページではこの日の歌ミサの大変すばらしい演奏を2種類お届けします。ひとつはソレム修道院の修道士による1960年の歴史的な演奏で、もうひとつはそれよりずっと最近(2010年)のトリヨールのノートルダム修道院の聖歌隊によるものです。どちらか一方を選ぶか、または両方をお聞き下さい。 入祭唱:Quasi modo この日の御ミサの固有唱は年間の典礼の中でも特別な性格を備えています。それは固有唱のすべてが新約聖書を題材にしたものであり、わけても福音書を題材にしているという点です。ただ、入祭唱だけは福音書ではなく聖ペトロの第一の手紙を題材にしていて、まさに恵みによって得た新たな生に生まれ変わった人々に呼びかけているのです。 Quasi modo geniti infantes, rationabiles sine dolo lac concupiscite. ミサ典書に書かれているこの入祭唱の歌詞はrationabiles(「霊的な」の複数形)となっていますが、前日の白衣の土曜日のミサで朗読された聖ペトロの手紙ではrationabile(単数形)となっています。したがってこの形容詞は「幼子たち」ではなく「乳」に対応していると考える方が理解しやすいと思われます。よってこの歌詞を次のように訳します。 生まれたばかりの幼子のように、偽りのない霊的な乳を求めなさい。(註2) この歌詞は御復活節の間ずっとそうであるように、喜びに満ちた「アレルヤ」が挿入されています。新たにキリスト教徒となった人々への呼びかけを通じて、 聖ペトロは私たち全員に問いかけているのです。御復活祭によって私たちが本当に新たなものとされ、福音書が求めるような幼子に戻ることができたかどうかを。このメロディは私たちが再び見出さなければならない、この幼子の精神を完璧に表現しています。軽やかで優雅な喜びに満ちた単純さと、母の腕の中の幼子のように神の御意志に身を委ねる平和な自己放棄からなる精神を。この入祭唱には詩編80の最初の聖句が続きます。主の大きな祭りを祝うための誘いとなる聖句です。 Exsultate Deo adjutori nostro, jubilate Deo Jacob. 私たちの救いである神に喜び歌え。ヤコブの神に歓呼せよ。 アレルヤ唱:In die resurrectionis 今週のQuasimodoの主日から復活節の終わりまで、つまり聖霊降臨祭まで、アレルヤ唱がミサの昇階唱に取って代わります。従ってどのミサにも2つのアレルヤ唱があり、この2つのアレルヤ唱は立て続けに歌われることになります。これらのアレルヤ唱の歌詞はたいてい福音書から取られていて、とりわけ今日の場合がそれに当たります。正確に言うと、最初のアレルヤ唱の歌詞はむしろ御復活の福音書の場面の言い換えです。福音書では、聖なる女性たちに近づき「彼は復活された。行って弟子たちに、彼は先にガリラヤに行かれた、と告げなさい。」と語るのは天使ですが、ここではこのキリストご自身がこの言葉を語られるのです。 In die resurrectionis meæ, dicit Dominus, præcedam vos in Galilæam. 主は言われた。復活の日私はあなたたちより先にガリラヤに行く。 高音域で展開する柔らかく喜びに満ちたメロディが、præcedam vos(あなたたちより先に行く)という歌詞を強調します。それに対してその他の部分は中音域で展開します。この聖句を歌い終わった後、アレルヤという歌詞の繰り返しはありません。というのも御復活節の間ずっとそうであるように、そのまま引き続き2つめのアレルヤ唱が続くからです。 アレルヤ唱:Post dies octo 御ミサの福音書朗読の直前に歌われる、Quasimodoの主日の2つめのアレルヤ唱の歌詞はこの福音書を題材にしています。これは復活節の間によくあることです。この日の朗読が最初は疑い、やがて信じることになった聖トマスにまつわるものであることは知られている通りです。 Post dies octo, januis clausis, stetit Jesus in medio discipulorum suorum, et dixit : Pax vobis. 8日の後、扉が閉まっていたのにイエズスは弟子たちの真ん中に立って仰せになった、「あなたがたに平和があるように。」 アレルヤの語の部分で柔らかく喜びに満ちたヴォカリーズ(母音を長く延ばす唱法)のあるメロディは、第一のアレルヤ唱に似ています。歌詞はまず全く同様の上昇と下降の弧を描く2つのフレーズに乗って歌われ、pax vobis(あなたがたに平和があるように)という主の御言葉が、アレルヤのヴォカリーズの繰り返しの前に厳かに立ち上ります。   奉献唱:Angelus Domini アレルヤ唱や拝領唱がしばしば、とりわけ復活節には福音書を下敷きにしているのに対して、奉献唱が福音書を下敷きにしているのはとても珍しいことです。年間を通じて2つの例しかありません。すなわち、待降節第4主日のAve Mariaと本日の御復活後第一主日の場合です。ついでながら、本日の奉献唱はすでに御復活の月曜のアレルヤ唱にあったもので、福音書の御復活の場面から取られています。 Angelus Domini descendit de cælo et dixit mulieribus : Quem quæritis surrexit sicut dixit. 主の天使が空から降りてきて、女たちに告げた。「あなたたちの探しているお方は言われたとおりに復活された、アレルヤ」 このメロディは大変優美な大きなうねりから始まり、その最低音から最高音に至るうねりの中に天の使いの飛翔を見る思いがします。そのうねりは御復活の大きな喜びに満ちた知らせで締めくくられ、熱意のこもったアレルヤが最後に続きます。 拝領唱:Mitte manum tuam 2つめのアレルヤ唱と同じく、御復活後第1主日の拝領唱の歌詞は、当日の福音書を題材としています。それは聖トマスに対するキリストの御言葉です。 Mitte manum tuam et cognosce loca clavorum, et nobi esse incredulus sed fidelis. あなたの手をここに置き、釘の跡を認めなさい。そしてもはや信じない者ではなく信じる者になりなさい。 このメロディは入祭唱のQuasimodoを大いに思い起こさせるものです。大部分が一音節一音対応になっていて、単純さと軽やかさに満ちており、聖トマスのような知的に理解しなければ気が済まない人が信じるために必要な子供の心を表現しています。ここでもまたそれぞれのフレーズの最後に喜ばしいアレルヤが挿入されています。 註1 入祭文(唱)の最初のフレーズはQuasimodo genitis infantes(生まれたばかりの幼子のように)というもの。 註2 ミサ典書にある複数形rationabilesを採用すると、この形容詞は「幼子」を修飾することになり、「生まれたばかりの幼子のように、霊的な者として、偽りのない乳を求めなさい。」という意味になる。 当解説はUna Voce France の WEB SITE の記事の翻訳です。 フランス語の内容はこの記事の内容とほぼ同じです。